御院主さん!教えて!(QアンドA) ---------------------------------------------------------------------- Q.お仏壇は誰か亡くならないと持たないものですか? A.お仏壇は、亡くなった人の法名(位牌)を安置するところと思っている方が多いようですが、そうではありません。 お仏壇は阿弥陀如来を安置し、我が身を振り返って礼拝するところなのです。ゆえに真宗門徒は仏壇と呼ばずに御内仏(おないぶつ)と呼んできました。したがって、新しい家での生活が始まれば御内仏があるのが自然なのです。 人が居れば先祖があるのですから、新しい家での出発として□□家先祖という法名牌又は法名軸を安置し、諸仏として礼拝するのが望ましく思われます。 ---------------------------------------------------------------------- Q.お釈迦様と阿弥陀様はどう違うの? A.お釈迦様は2500年前にインドに実在された方です。釈迦国という小国の王子の位を捨てて出家し、35歳の時に菩提樹の下で真理に目覚めて仏陀(仏様)になられました。 それに対して阿弥陀様は実在された方ではありません。お釈迦様が発見された真理そのものを表現した方便の尊像です。ですから御内仏の中心には人の姿に似せて描かれていますが、その一つ一つに意味があります。 親鸞聖人の言葉に阿弥陀様の事を「いろもなし かたちもましまさず」とあります。本来は色も形もないのですが、私たちを救おうとする智慧と慈悲の働きとして存在しているのです。 この事実に気づけない私が問題なのです。 そのことを法然上人は「月影の いたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ」と仰っておられます。 ---------------------------------------------------------------------- Q.葬式に塩は必要なのですか? A.真宗の葬儀式に伴う作法の中で、塩を用いる事はありません。 一般に葬式で塩を使うのは、「清め塩」という意味合いに使われるようであります。では、何を清めているのかといえば、亡くなった人か、死そのもののどちらかであります。 万人周知の事実でありますが、死なない人はありません。死んだからといって、その人の人間性が変わる訳ではありません、ましてや悪いもの汚れたものに変わる事もないのです。よって亡くなった人を清める必要などないのです。 また、人を清めているのではない、死という現象を清めているのだ。というむきもあるかもしれません。もちろん死は、だれにとっても嫌なものです。私も死にたくありません。だからといって塩をまいたら死が遠ざかるのでしょうか?生と死は、不離一体のもの、死と向き合う事と生と向き合う事は、大差ないのです。 ---------------------------------------------------------------------- Q. 寄付金に対する領収証は出ますか? A. 個人が宗教法人(○○寺)に寄付した場合は、宗教事業に対する援助です。○○寺にとって益金ですが、そのお金を宗教事業に使用した分は非課税(課税圏外)となります。 領収書は課税対象の益金に対して発行されるものです。宗教法人(○○寺)は宗教事業を行う法人ですから益金に対して課税されません。よって、基本的には印紙貼付の領収書は出ません。 実際では領収証を出している寺もありますが、名前だけであって印紙は貼ってないとおもいます。お寺の場合は 披露状という名前で発行しているケースが多いと思われます。 寄付は、感謝のこころが形として表現されるものです。 ---------------------------------------------------------------------- Q.何故「門徒」というのですか? A.もともとは「一門の徒輩」という意味で、ひとつの宗派に属し信仰を同じくする人々のことを指していました。ですからそれは真宗信者ということに限っていたわけではありません。 親鸞聖人はお聖教の中で「門徒」という言葉を使われておりますが、それは法然上人の門下生のことを指しています。つまり、お念仏の教えのもとに信仰を同じくするものが集まったので、それを「門徒」といわれていたのでしょう。そして、後の人たちもそれにならって自分たちのことを「門徒」と呼んでいたのが、だんだんと「真宗の帰依者は門徒というのだ」というふうになってしまったのだと思います。 現在「門徒」といえば真宗の在家信者を指すのが一般的ですが、お念仏の教えの前では、お寺に生まれたものも普通の家庭に生まれたものも「共に平等にお念仏の教えひとつ(一門)に集う徒輩」だと思います。ですからお寺さんでも自分のことを「わたしは真宗門徒です」と言ったりします。そういう広い意味で「門徒」という言葉を頂かれてはいかがでしょうか。 ---------------------------------------------------------------------- Q.お坊さんを何と呼ぶのが正式なのでしょうか? A.このように呼びなさいということはないようです。 お寺さん・ご住職さん・ご院主さん、寺の息子さんは若院さんなどと呼ぶ呼び方が一般的と思います。 親しみを込めてご院さん、若さんと呼ぶのもよいでしょう。 お店の店主を呼ぶのに、屋号で◯◯屋さんなどと呼ぶように、複数のお寺さんがおられる場合は寺号で◯◯寺のご院主さん・◯◯寺の若院さんと呼ぶのがよいでしょう。 これは、他宗には通じません。門徒の場合で他宗のお寺さんを呼ぶときは、お寺さん・ご住職さんと呼ぶのがよいでしょう。 ---------------------------------------------------------------------- Q.真宗のお坊さんの頭髪は長い人が多いけど? A.僧侶が頭髪を丸刈りにしているのは髪型の執着から離れるという意味があります。自分のことをよく見てもらいたい、と言う自己執着からの解放を求めた形だと考えることができます。しかし、自己執着の煩悩を直視しなければ、丸刈りという髪型の執着が新たに出ててくることとなります。自己執着を直視していれば、あるいは、煩悩だらけの自分と確認していれば髪型などはどうでもよいこと、となってしまうのではないかと思います。ちなみに人間の身体には不必要なものは何一つ無いともいいますので頭髪も大事なものだと考えます。 ---------------------------------------------------------------------- Q.お坊さんは、荒行苦行が大変と聞きますが? A.仏教の教義の中に「中道」という教えがあります。これは快楽と苦行の両極端を離れ、心を平静に保つことを意味します。ですから、基本的に仏教では、肉体を痛めつけるような難行苦行は行わないのです。では、親鸞聖人は、何を以って真の修行(正行)とされたのでしょう。結論から言えば、聖人は「念仏」こそ私たち凡夫の行い得るただひとつの修行であると説かれました。だから、我々僧侶にとっても在家の門徒にとっても念仏の他に何の特別な修行も有りはしないのです。 ---------------------------------------------------------------------- このQアンドAは吉田御坊のホームページを参考にして編集しました。 |